img037.jpgARCHE(アーチ)とKOUSAKU(コウサク)の頭文字と「二人が生きる」という意味でAK LIVE。
1991年、ソニーレコードからハロウィンパーティーで念願のメジャーデビューを果たしたKOUSAKUだったが、シングルCDを2枚をリリースしてバンドが突然の解散。その後ソロ活動をする中、バンド内でヴォーカルの他にスクラッチDJも担当していたKOUSAKUは「もっとDJの腕を磨きたい」とレコード会社の紹介でとあるクラブを紹介される。

しかし、そのクラブはリクエストに応え曲を流すラジオスタイルのDJ BARで、そのブースでしゃべり出したのがDJ ARCHEだった。
「はっ!?しゃべんのかよっ!?」と困惑するKOUSAKU、するとそこへ一人の女性が現れる。
それが株式会社サンディの社長・奈美木映里氏(通称BeBeさん)であった。
彼女がラジオDJ事務所の社長という話しを聞き、初めはあまり聞く耳を持たなかったKOUSAKUだったが、次第にARCHEのしゃべりに引き込まれ「ラジオDJもありか」とサンディ入を決め、93年正式に株式会社サンディの一員に。
当時FMラジオDJランキング1位の人気を得ていた同い年のDJ・ARCHEは、RAP好きでラジオDJの傍らソロで音楽活動もしていた。
ややテンポの早い高速RAPは、HIP HOPのRAPとはまた異質で、KOUSAKUにはそれがとても新鮮だった。
そんなARCHEのライブステージから時間をもらい、KOUSAKUもソロでステージをするようになる。
お互い別々のステージを展開していたある日、ARCHEへとあるイベントのオファーがくる。
しかし、予想以上の長い持ち時間に「だったらKOUSAKUも一緒にどう?」とARCHEの誘いがきっかけで、ARCHEの曲にKOUSAKUが入りKOUSAKUの曲にARCHEが入るという即席ステージを行った。

この時がまさしくAK LIVE誕生の瞬間だった。

その後ユニット名を「AK LIVE」としライブ活動をスタート。
気が付けばライブハウスに入りきれないほどのファンが来るようになり、数々の声をかけてくれたレコード会社の中からソニーレコードのダブルオーレーベルから95年「NO FAKE」でデビュー。
同時にソニー・マガジンの「きみとぼく」にて内田一奈先生による二人の軌跡を描いた漫画「3D-boys」の連載がスタート。
2000年、KOUSAKUが事務所を離れるまでにシングル6枚、アルバム2枚をリリース。

解散から13年経った2012年9月30日、KOUSAKUは自身の環境活動「まるごみ」ために福島市駅前広場にいた。
ゴミ拾いをしていると、子供を二人連れた女性が「お久しぶりです」と声をかけてきた。
話しを聞けば、AK LIVEのファンでよくライブ度に福島から東京に来ていたと言う。
懐かしい話しにしばらく立ち話をしていると、急に彼女の顔が曇った。
当時一緒にライブに来ていた友達が、現在病気と闘っているとのことで、KOUSAKUはすぐに電話をさせその友達と話しをした。
病気のこと、家族のこと、現在のカラダの状況など、事細かに話しを聞いたあと最後に「一番何がしたい?」の質問をした。
すると彼女は「叶うならばもう一度、AK LIVEのステージがみたい」そう言った。
自らが経験してきたことがKOUSAKUの頭の中に駆け巡り「わかった、俺一人じゃ決断できないけど、最善を尽くすから」と電話を切った。
東京に帰ってすぐにこの話しを奈美木映里氏とARCHEに伝えると、二人は以外とあっさり「いいよ」という13年前と変わらぬ笑顔で答えをくれた。

2013年1月27日、ネットTV「まほろばTV」で久しぶりにKOUSAKUとARCHEが共演し、AK LIVE復活のメッセージを発信。
2013年6月9日(日)まるグルのステージにて、13年の時を越えAK LIVEが躍動する!!