2023年2月6日に発生したトルコとシリアの国境付近を震源とする地震とその余震により大変な被害が出ています。この地震は東日本大震災を上回る死者数となり、その全貌は未だ見えていません。被災者は毛布や食料もなく氷点下の夜を耐え、一刻も早い支援を必要としています。まるごみJAPANとして被災地域への寄付、また情報案内のご協力をさせて頂きます。是非、出来ることからご協力をよろしくお願い致します。
<救援金受付の窓口>
●トルコ大使館
●UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)
●WFP(世界食糧計画)
●セーブ・ザ・チルドレン
●日本ユニセフ協会
●日本赤十字社
●国境なき医師団
※この他にも受付窓口はあります。義援金詐欺などもありますので、どこにどんなカタチで支援がされるのか?などご自身で確かめてご協力を!
日本とトルコ『100年の友情』
エルトゥールル号は1890(明治23)年、親善訪日使節団として来日し、帰路で和歌山県沖を航行中に暴風雨で遭難。500人超の乗員が死亡・行方不明となりましたが、地元住民らは懸命に救助や看護にあたったそうです。95年後の1985(昭和60)年、イラン・イラク戦争が勃発した際、イランの首都テヘランに取り残された日本人215人を、トルコ航空機が救出。パイロットは「エルトゥールル号の恩返し」を理由にあげたそうです。遭難事件はトルコで語り継がれていたそうで、その後も友情は続き、2011年の東日本大震災でも、トルコから緊急援助隊が駆け付けてくれました。
エルトゥールル号遭難事件は、1890年に和歌山県串本町の沖合で沈没したトルコ船の乗組員を、現地の日本人が献身的に救助した出来事です。トルコが親日国家となったきっかけといわれています。まとめてしまうと簡単な内容に感じるかもしれませんが、しかし、当時の村民による救助活動は、自分の命まで犠牲にしてもおかしくない必死なものでした。救助には子どもから大人までが参加し、生存者がいないかどうか、荒れる海に飛び込んだといいます。海岸には大勢の遺体が打ち上げられました。その中に紛れた生存者を見つけては、息絶えないよう自らの体温で温める人もいたのです。亡くなってしまった乗員は村民たちによって手厚く葬られ、生存者には心づくしの介護が続けられました。オスマン帝国は、このときの日本人による救助活動に大きな感銘を受けたといわれています。後日、この事件を聞いた日本政府は生存者を東京に移送し、医療機関での治療を行って全員が快方に向かいました。最終的には生存者全員を日本政府が故郷まで送り届けています。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、多くの国から救援物資が届けられました。中でも、トルコからの支援は手厚いものでした。32名の救助隊に18.5トンの飲料水、さらに豆やツナなどの缶詰が約6万8800個、そして約5000枚の毛布が届けられたのです。そのうえ義援金として1,600万リラと、ニューヨークのトルココミュニティから3万ドルも寄付されました。その他にも、トルコ大使館ではトルコの高価な工芸品を集めてのチャリティーバザーが開かれています。